多事雑論016 武道 ~合気道には試合がない~

合気道という名は誰でも聞いたことがあると思うが、合気道がどんな武道なのかはあまり知られていない。よく「空手みたいな感じ?」「太極拳みたいなもの?」「気功みたいなもの?」といった質問を受けた。そして大抵の人は「合気道には試合がない」と聞くと「そうなの?」と驚く。

合気道は「大東流合気柔術」を源流とする武道である。
大東流合気柔術は、八幡太郎義家(源義家)の弟・新羅三郎義光(源義光)を祖とし、のち甲斐武田家~会津武田家に引き継がれた古武術(真偽は怪しいが)。「御式内」とよばれる秘武術であったが、会津藩の西郷頼母の説諭によって、会津の武術家「武田惣角」により世に広められた。
武田惣角に師事した門弟のひとり植芝盛平により創始されたのが、合気道である。和歌山県・紀伊田辺のJR駅前には、武蔵坊弁慶の銅像とともに「合気道開祖・植芝盛平生誕の地」の石碑が立っている。

ところで、なぜ合気道に試合がないか、お分かりだろうか。
多事雑論015で述べたように、合気道は「究極のヤワラ」。相手の動作や攻撃というアクションがあって初めて成立するリアクション的な技しか持たない、つまり積極的・能動的に攻撃する技が存在しない。
したがって合気道同士では、互いに対峙するのみで永遠に試合が始まらない。「試合がない」というより「試合が成り立たない」のである。

合気道には試合がない――究極のヤワラであるが故の宿命だが、これを「部活動」としてやる場合が問題である。そもそも、運動部というものは試合で勝敗や優劣を競うものである。その本質を欠いた合気道部という部は、他の部とは異なる特殊な事情を多々抱えることになる。

我が立命館大学の体育会には当時47の運動部があったが、それぞれの部の部員達は、大小の試合に向けて日々の練習に汗を流していた。「試合に勝つ」という目標は多くの部にとって求心力となっていた。しかし合気道部にはそれがない。では、試合のない合気道部はどうやってその欠陥を補おうとしたのか。
例えば、幹部のみが着用できる「袴」への憧れ。例えば、厳格な縦社会という縛り。各種コンパや合宿など頻繁な部内行事。応援団や体育会本部との協働、等々。合気道部内には求心力を保つためのカラクリが伏線のように張り巡らされていた。
そしてもう一つの重要な要素、それが「根性練」だった。過酷な練習に耐え、乗り越えることで達成感を得、それをもって求心力に替えようという集団の力学が働くのだろう。徹底的に自身を虐め抜くような根性練は、合気道部の代名詞だった。けれど合気道という武道は筋力が要らないという建前だったはず。なのになぜ筋トレに明け暮れている?
運動部として本質的な矛盾を孕んだ合気道部は、目標を見失い病理に犯される危機を、常に内包しながら活動していたのである。

今、私は空手道の道場に通っている。漫画「バガボンド」で、佐々木小次郎が細い木の枝で雪ダルマをスッと斬る場面がある。宮本武蔵が真似しようとすると、枝が折れるばかりで雪ダルマは斬れない。道場で教わることは、このような「科学としての力学」では説明しがたい事柄に似ている。斬ろうと思うから斬れない。肩の力を抜く。静かに整えられる呼吸、そして一閃する瞬発力! その力は筋力でも腕力でもなく、その動作は所作とも表現すべき美しさである。私には難しすぎて全く出来ないことばかりだけれど、道を究めようとした先人の努力と才能の結晶に触れることは、とても楽しい。
合気道の稽古も本来こうした事柄を体得するためのものであったはず。稽古とは「古(いにしえ)を稽(かんが)える」と書く。試合という雑音に左右されることがないからこそ、稽古――先人の教えを稽えることに専念することができる。合気道部はむしろ、そうした好条件のもとにあるのかもしれない。
試合がないからこそ可能な合気道部ならではのスタンスを、何とか構築できないものか。空手道を学ぶ傍ら、現役合気道部員からOB宛の文書が来るたびに、そんなことを考える今日この頃である。