多事雑論012 歴史 ~昔も今も④~源義経は男前だった

源義経。源平合戦に彗星の如く登場した若き武将。
彼は、一の谷・屋島・壇ノ浦におけるたった三度の合戦で、強大な平氏軍団をたちどころに攻め滅ぼしてしまった。
神速の用兵。調略と奇襲。義経の軍才は世間を驚かせた。彼は、突如として英雄になったのである。

ところで、この義経。とても小柄で色白だったのは事実のようだが、その容貌については「美男・醜男」両極端の主張がある。
軍記物に記された義経の容貌に関する描写は以下のとおり。
・「九郎(義経)は色白う背小さきが、向歯の殊に差し出て、しるかんなるぞ」平家物語(平氏方の武人のセリフ)
・「源九郎大夫判官義経、本陣に供奉す。色白くして丈短し。容貌優美にして、進退優なり」源平盛衰記
・「眉目よき冠者殿なれば、姫持たらん者は婿にも取り奉り…」平治物語(藤原秀衡のセリフ)

これら古典の描写から「醜男だ」「いや美男だ」と様々に取り沙汰されるが、誰も本人に会ったことがないのだから結論の出しようがない。別に色男でなくてもよいが、颯爽たる若武者のイメージは崩したくない。何か決定的な決め手はないのだろうか?
そこで、臨場感たっぷりに当時をイメージしてみよう。すると、あるではないか。決定的な状況証拠が。

現場は、義経軍・京都凱旋の沿道。今の伏見区墨染あたりを通って入京したようだが、義経の姿を一目見ようと、京都中の人々が沿道を埋め尽くし、「京から市女がいなくなった」という。この状況を、司馬遼太郎氏は著書『義経』で「義経は日本史上初の『人気者』となった」と書いた。
やはり、真っ先に行動するのは、昔も今も女性なのだ。彼女たちは「時の人」を見に行くのに凄まじい行動力を発揮する。臨場感をもって当時の状況を想像すれば、悲鳴のごとき金切り声が耳に聴こえてくるようではないか。テレビはなくても、そういう情報は速いのである。

義経凱旋が空前の社会現象を巻き起こしたことは歴史的な事実だったようである。
社会現象の実態や発生メカニズムなど社会そのものを広く研究対象とする学問が社会学であるが、群衆心理や群衆行動=例えばサブカルチャーやアイドルの発生といった現象=も、研究テーマのひとつである。こうした研究によれば、テレビという媒体が登場する以前の時代において、一人の人間が大きな社会現象=特に偶像(アイドル)現象を発生させた場合、大きく二つの要素が備わっていなければならない。その要素とは、
 ①その現象の元となった事象の話題性が、その社会にとって大きいこと。
 ②話題となっている個人の、容姿が優れている(多くの人にとって好もしい)こと。
これは、平氏滅亡が衝撃的ニュースであったことに加え、その中心人物=義経が魅力的な容姿を備えていたということを示している。少なくとも樋口清之氏が著書『うめぼし博士の逆さ日本史』で言うような「醜いせむしの小男」ということはあるまい。

史料や文献の字面に執着していては真実は見えてこない。まして、人々の抱くイメージをいちいち破壊して幻滅させるのが歴史学者の使命というわけでもないだろう。義経は、颯々たる男前だったのである。